風営法のダンス規制に対し、ダンスはいくら弾圧されてもなくならない…という話をします。

先日テレビで特集してたんだけど、戦前のナチス政権下のドイツで敵国(アメリカ)の音楽ということでジャズが禁止されたそうです。
それは映画の「スウィング・キッズ」で知ってたけど、当時世界で大流行していたジャズがナチスから禁止されて、ドイツのスイングジャズのクラブで踊ってた客たちが逮捕されました。ジャズは全面禁止、ジャズミュージシャンは収容所に送られたり米の退廃文化の象徴としてナチスのプロパガンダの宣伝等に利用された。
でもそんななかでも必死でジャズを守り続けて、ジャズ曲名をドイツ語に改変したり、無線ラジオでひそかにきいたり、レントゲン写真でレコードをつくったドイツ人たちがいたそう。
ナチスの弾圧でもジャズは死ななかったのです。

また別番組では冷戦時代のソ連で英米文化が禁止され、秘密でビートルズを聴いたりコピーバンドをつくったりした若者達の話をやってました。捕まるから地下活動で隠れてね。
ジャズも禁止されて、それまでスターだったロシア人のジャズミュージシャンがシベリア収容所送りになったそうです。

日本も戦争前や戦中は、英米の音楽は敵国音楽としてもちろん、日本の音楽や映画などの娯楽も(戦争プロパガンダのもの以外)大半が禁止されていました。
でも戦争が終わってすぐ一番最初に人々が群がったのは映画館だそうです。長い間娯楽に飢えていたから。

さて今度はラテンの話。

ラテンアメリカが欧州列強の植民地だった時代、アフリカから黒人が奴隷として連れてこられ強制労働させられました。奴隷たちは足かせをつけられて自由に動けなかった。大好きな音楽やダンスも禁止。でも奴隷たちは、監視の目をぬすんで休息時間に足枷と鎖の範囲内で踊った。それがメレンゲだった。だからあまり手足を動かさないし2拍子のステップで狭く踊る。…それがメレンゲの発祥だといわれています。西暦1800年の前半くらいのこと。

1962年のキューバ危機の時に米でキューバの音楽が禁止されたときに、セリア・クルースなどキューバ人のアーティストが亡命し、NYのプエルトリコ人など中南米移民が中心になって新しく創造した音楽がサルサ。
禁止されたので、かえって新しい音楽とダンスが生まれてしまったという結果に。

つまり言いたかったのは、

いくら国の権力者や官憲がダンスや音楽を禁止しようとしても、しょせん無理ってこと。

ダンスや音楽は、自然の音とか人間のナチュラルな感情から生まれてきたものだから
太古から、人々はうれしいとき、悲しいとき、ストレスがたまったとき、いろんなときに音楽をきいたり歌ったりダンスを踊ったりします。

日本人も昔から踊りや歌が大好きな国民です。

私がこれだけしつこくダンス規制についてブログで書いてるのは、自分がクラバーだからクラブを守りたいという理由だけではありません。私はクラブ経営者でもないし、音楽イベントオーガナイザーでもダンスインストラクターでもない。海外によく行くから、日本のクラブがダメなら海外のクラブに遊びに行ける。だから目をつぶろうと思えばしらんぷりすることもできる。

でも自分の国の未来がどうなっていくのか懸念しています。
これだけ風営法のダンス規制にお上が固執しつづけるのには、たんにダンスだけの問題じゃなくて何か裏に理由がありそうな気がします。
ずっとあとになってふりかえったら、「ああ、あのときがターニングポイントだったんだな」と思うときが将来くるんじゃないかと…。


歴史的に見て、どこの国でも国家が国民に思想統制したいときにまず弾圧するのが表現の自由や音楽やダンスなどの文化だったから。

上記が私が一番言いたいことです。

ダンスをする権利や音楽をきく権利を奪う、
風営法のダンス規制、クラブやダンスホール、ダンスイベント、ライブハウスなどの取り締まりは、
表現の自由を保障する憲法違反だと思うからです。

<ブログ内関連過去記事>
「震災後、”元気を出せ”っていいながらダンスを奪う日本」
「サルサのどこが善良な風俗を害するペアダンスなの? 」
「風営法の標的はペアダンスだった」
「サルサバーが閉まっていく 」
「ダンスは善良な風俗を害するもの
「ダンス全般が風営法対象だって。公民館さえ」
「ビーチサルサの危機」
「閑散…クラブではNo dancing」
「クラブの取り締まりに対抗するには」
「あのクラブまでもがクローズ!」

2006年に私が書いたクラブ取り締まりに対する過去記事
「クラブ消滅の危機」
「六本木のクラブ、閉鎖」

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